カレーのライスを炊き忘れ

備忘録を兼ねたインターネットの海に埋もれていく日記

20200915

私の日々はどんな異教の神にも踏みつけられ、それに耐えていると言う一週間の日々でもなければ、またチクタク鳴る時計の音で細かに刻まれていく日々でもなかった。
というのは、私はプーリー・インディアンのように生活していたから。彼らには「昨日、今日、明日を表するのに一語しかなく、昨日を表すのに後方を指さし、明日は前方を、今日は頭上を指差して意味の違いを表す」といわれている。
こんな生活をしていたら、明らかにこの町の人々にとっては全く怠惰の見本とされるが、もし鳥や花がその立場から私なる人間を吟味するようなことがあれば、私は欠点のない人間だとすでに気づいていたかもしれぬ。
人間というのは確かに、自分の心の中にふさわしい時を見つけねばならないのである。
自然がもたらす、あるがままの日々は、かけがえのない平静さをもたらし、人の怠惰すらめったに咎めるようなことをしないだろう。

ヘンリー・D・ソロー 「森の生活」 音

今日何もしてね〜って焦ったときはこの一節を思い出している。わたしにはわたしのふさわしい時があるので、誰にもつべこべ言われずに胸張って生きたいね……。