カレーのライスを炊き忘れ

備忘録を兼ねたインターネットの海に埋もれていく日記

20200809

"単調"というものに対する適性は多かれ少なかれ存在すると信じている。そしてこの適性がいわゆる社会適合性(?)みたいなものと等しいとまではいかずとも、何かしらの係数として寄与しているとは思う。誠に遺憾ですが、当方"単調"というものにあまり適性を持っていないようなのです。毎日同じことをすると落ち着くという気持ちは分からんでもない。私も同じカレーを週に何度も食べて落ち着くことがある。でもそれは"単調"を求めているよりも、効率を求めているだけで、日々を好んで均一にしたいわけではないと思う。

たまにふと「このまま同じようなことをしていて、その先に何が待っている?」という映画の中のティーンエイジャーが冒頭に考えていそうなことを考える。そんな日はいつもは行かない遠い公園まで散歩してみたり、いつもは行かないファミリーマートに行ってみたり、いつもは登らないマンションの屋上に出てみたり、小さな"単調の破壊"を行う。"単調"の対義語は"多様"らしい。別に"単調"を破壊しても"多様"になった気はしない。

ビートルズの「Across The Universe」が大好きでよく聴く。「Nothing's gonna change my world」ってところ。ここはきっと彼らの信念というか、「どんなものでも俺の世界は変えらんねーよ」みたいな話だと思うんだけど、私は勝手に「諦め」の歌だと思っている。「何やっても別に何も変わんねーよファッキンワールド万歳!」って感じ。でもそれと同時に、いとも簡単に色々なものに自分を変えられてしまうことへの恐怖を和らげるおまじないでもある。

別に何も変わらないけど、今日はいつもみたいにシャワーじゃなくて湯船に湯を張ってみた。暑くて、5分で上がった。