カレーのライスを炊き忘れ

備忘録を兼ねたインターネットの海に埋もれていく日記

20190217

食べた

  • 朝:ミルクパン
  • 昼:焼き鳥と鶏そぼろ丼
  • 夜:ごま坦々鍋

読んだ

>これは本当に同意するし人間として真っ当に生きていくために肝に銘じておきたい。私も枠に囚われるとか組織の一員として無為に動くということをしたくないと思うタイプだけど、それをマイナスだとは思いたくない。ただ私がそうしたくないだけで、そうしたい人もいるし、そうしたい人に比べてそうしない人が優れていたり面白かったりするわけではない。当たり前ですけど、忘れがちです。私はSNSで死なないし、SNSで生きたいです。素直にいい文章だと思った。そして戸田真琴さんはマジで可愛い。

>集合体恐怖症の人が泣きそうな写真

>最近よくGAN使ったサービス見るな

思った

陽キャなのでフットサルしてきました。マジ陽キャだわ〜。はい。

夜は「友達のDJイベント」に行ってきました。パワーワードです。もう一度言わせてください。友達のDJイベント。ありがとう。格好良かった。

読んだのところに貼った戸田真琴さんのnoteについて。(普通の女優は呼び捨て表記できるのに、AV女優は呼び捨てにできない気持ち分かりますよね?)2019年はブログとかtwitterとか色々と新しいことに挑戦しようと思い、主にモノを書くということを習慣にしようとしている。これがなかなか面白くて、文章を書くこと読むことが好きなんだなと再確認できた。体にはどんどん言葉が溜まっていくのでそれを吐き出さないといけない気がしていて、それは誰かに話して口にすることでも吐き出すことはできるのだが、やはり目に見えて溜まっていく方が、言葉が消えていかないし、何よりも自分という流動体がふらふらしているのを言葉を通して見ることができるのは悪いことでないと思う。発言の責任とか主張の変遷とか価値観の醸成とか、色々なものが「書く」という行為によって目に見える。

ここまでは自分のためにものを書いているという話だが、もちろん私だって書いたものを人に読まれ、それを評価されて嬉しくないわけがない。ものすごい承認欲求が満たされるし、インターネットの向こう側で知らない人が私の文章に感化されて何かを考えたり行ったりすることは素敵なことだ。だからいい文章を書きたいというモチベーションにもなるし、それが健全であるとすら思う。とは言っても、この日記も不定期で更新している雑記もtwitterInstagramも、ただの神戸の大学生が書いた戯言ばかりが並んでいる。まあ、仕方ないことだ。仕方ないことだと思えるし、思えている状態を保っているべきだ。SNSで特別になろう、有名になろうとして、自分を殺してしまうようなことしか発信できないのなら何の意味もない。生きている私をついでにSNSに綴っていく。負け惜しみのようでもあり、本当に思っていることでもある。こういう日記を書いてしまうくらいにはインターネットという場所でものを書くことが好きなのだろうから、それでいい。何にせよ、この日記が150記事を迎えようとしていることを嬉しく思う!!!

聞いた

明日 街が晴れたなら 僕は傘を畳んで
深緑の服を着て 君に伝えに行こうかな